2006年04月01日

いったい【コスト】の意味がワカっているのか

あいかわらず、実に馬鹿げた不祥事ばかりがニッポン社会のあちこちで頻発している。

そんななか、長引く『メール疑惑問題』を受けてようやく民主党“若手”執行部の総退陣が決まった。与党打倒のアドバルーンを高く上げようと焦るあまり、本来欠かしてはいけない党内倫理インフラの拡充に手を抜いた(あるいは軽視した)責任は重大だ。

話は変わるがスカイマークという航空会社。旅客機の整備不良がたて続けに明るみになり、物議をかもしている。十分な整備スタッフを社内で雇用することなく、安易に外注による“コスト”削減で経営の効率化を図ったツケだとも言われている。こういう根本的なマンパワー面の余裕の無さが、結局は取り返しのつかない結果をひき起こすことは、ナニもJR西日本の某脱線事故や、ごく最近の札幌の強度偽装マンション事件を引き合いに出すまでもなく、何度も何度も“立証”され続けてきたことである。

それでもなぜ、スカイマークに限らず経営者は手を抜くのか。民主党執行部に限らず、管理者は手を抜くのか?──そのあたりをちょっと考えてみた。

すると、近年われわれの生きる社会で『暮らしの質の低下』が指摘されることの裏側に、実はわれわれ自身の『誤ったコスト認識』が深く関わっているのでは?と思えてきたのである。
つまりである…われわれ虚衆には、そもそもコストの意味が本当にワカっているのだろうか? コストとは、費用だ。平たく言えば『生きていくのに必要なおカネ』だ。運営や営業、生活や暮らしに欠かせない出費、それがコストだ。

ところが。

いつどこで勘違い?したのか、虚衆の多くはコストを損失(ロス)と誤認している。『生きていくのを妨げるおカネ』だとアタマから信じきっている。コストこそが売上や生活を邪魔だてする障害なのであり、本来なら要らない出費だ。いかなる聖域もなく徹底的に削るべきだ!と信じて疑わない。

そういう短絡的発想はクレージーだ。どうか捨て去ってほしい。たしかに《不正に水増しされた、あるいは投下のやりかたにムダのある費用》は損失であり、たれ流しを絶つよう(=コストと偽って計上されないよう)最善を尽くすべきである。だが、それ以外の本当のコストは、(その結果得られる利益を考えれば)かかってあたりまえの費用なのであり、減らすことはできない。フツーに考えて減らせないモノである以上、減らしてはならない。

それでも本当のコストを省けば、たいへんなことになる。盲目的な出費カットは必ず(利益や結果の)量か質の目減りを招く。材料費や点検費をケチれば安全が脅かされるのは、その典型だ。さらにその結果としての(起るべくして起きてしまった)人災の発生例に至っては、前述したごとくまさに枚挙(まいきょ)にいとまがない。

だからこそ今われわれは、厳(げん)にコスト適正化に努めるべきなのであって、間違ってもコスト削減の悪魔に踊らされるべきではないのだ。にもかかわらず、ここ何年かの現実は(与党執行部が喧伝(けんでん)する規制緩和?推進策などの“追い風”も手伝って)、コスト敵視の風潮が社会全体を覆(おお)ってしまっているのではないだろうか。

かけるべき手間(コスト)までも省いて、同じだけの成果(利益)を得よう?というのでは、虫が良すぎる。その歪んだコスト認識は、逮捕された虚業家と少しも変わらない。
posted by 想定ペンギン舎 at 12:02| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 序説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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