2006年02月19日

ニッポンは『想定の繁華街』

トリノ五輪がイマイチだ、成績不振だと嘆く人たちがいる。まるで集団ヒステリーに取り憑かれたかのように。

不振というのは、目論みに比した相対的な概念。一方、五輪とはメダルという獲得ポイントを稼ぐだけが目的の、薄っぺらなエンタメ行事ではない。なのにいつの頃からか、開催前に獲得数を想定する風潮が生まれた。予想メダル数、っていったいナンなのだ? プロ、すなわち商用スポーツでもないのに、(ましてや国民総出の賭博でもあるまいに)プレー前から他人の勝敗を占ってナンの得があるのだ?

ここに虚衆の深刻な『想定中毒』が見え隠れする。どんなことでもいい。何か先の“当り外れを読む”ことで、ささやかな知的スリルと興奮を味わい、日常のうっぷんやストレスを発散させるしかない。そんな陰鬱な、塞がりきった社会で競争に明け暮れて、どうか自分だけは苦痛もなく畳の上で死なせてくださいと願う、切羽つまった不安感。これが致命的な精神の弱さとなり、結果が見えないならやるな、もっと利口になれと、親は子供に、上司は部下に、まるでワカったような説教をたれる。

失礼ながら、そんな生半可の『想定』ごときで、未来のナニひとつ読めやしない。読めるハズがない。未来は常にゼロから築くのであり、そのためにはひたすら今を読み、今を生きるトレーニングだ。結果に埋没せず、見返りへの期待抜きに、ただ生き抜く強さを求めて一心不乱に繰り返す──そこに『想定』の邪念が入り込むすきまは無い。

虚衆は“当てにする”。いついつまでにこうしておけば、そうなるハズだから、ガンバろう。逮捕された虚業家も『想定中毒』だった。当ブログのタイトルに『想定ペンギン』を掲げたのは、こういう(ナニかにつけて)遮二無二努力してみる前に、手前勝手の胸算用ありき!?という種族に何らかの呼称が要ると思ったから。そして、自分を含む『想定ペンギン』たちが見果てぬ大地をぞろぞろと行進してゆく状況に対し、わたしなりに警鐘を発したいと思ったからなのである。

わたしは45年目にして立ち止まり、行列から離れようと思う。

彼らが目指すところ(そんな場所が本当にあれば、だけど。)とは違う、もっと別の何かに備えるべきときが来た。

もういい加減、想定していてはダメである。
いかなる理由であれ“当ては虚しきことなり”…それこそが弱さを生む。たとえば虚衆から脱却するにも、現在の成果第一主義への根強い、誤った理解や信奉心を正すしかないだろう。負けて悔いなし、と思える努力を礼賛すべきなのであって、思い通りに勝てた事例こそが幸福の見本であるかのように言いふらしてはならない。
posted by 想定ペンギン舎 at 10:58| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(1) | 序説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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トリノ五輪、もっと気楽にいきましょうよ。
Excerpt: トリノオリンピックも中盤を迎えました。冬季のスポーツにはさほど関心がないので、
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Tracked: 2006-02-19 16:18
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