2006年02月05日

カネがすべてのどこが悪い

よく『拝金主義』が世の中を腐らす、と言われる。
カネだけがすべてじゃない。それは間違いなく正論である。

ただ『カネがあればナンだってできる』のと『食うためのカネが要る』というのでは、カネに固執している感情の持つバックボーンがまるで違う。弱者切捨ての風潮のなか、生活苦や経営難にさらされている人たちからみれば、『カネがあればナンだってできる』とは思わないが『食うためのカネが要る』のだ。とにかくカネ、カネ、カネが欲しいのである。このように、カネがすべて、と思えることだけを指して、誰もが守銭奴と卑しめられることには問題がある。

さて、このブログで語ろうとする虚衆は、『食うためのカネが要る』ほど生活に困窮しているワケではない。ただ、『1円でも多く、カネはあった方がいい』という強迫観念にはとり憑かれている。何かにつけて、置かれた立場をカネに換算し、次の行動の損得を勘定する。一見、損したような行動を選ぶときですら、その裏には見返りとか、万一の保険として…などといったしたたかな計算(=いわゆる、下心)がフルに働いている。

まさに虚飾。まさに偽善。脱法的な“粉飾”は、多くの虚衆が身につけるズル賢さの典型的な例だ。オモテ向き善良な一市民を気どりつつ、日常生活では虚しい動機が最優先される。特にズルいのは、自分が悪者とは(人一倍)思われたくないので、自分のとった行動で損するかもしれない対象者が見た目にはっきり特定できないとか、あるいはまるきりの匿名で互いに面識を持たずに済むとか、最低でも、遠く離れた場所で自分と生活圏のダブらないエリアであったりすると、俄然『出し抜いて得してやろう』という行動に出るのである。同じ国なのに、同じ人間なのに、といった心遣いは虚衆のなかに存在しない。

こうしてみると、真に虚衆のナニが非難されるべきか?が次第に見えてくる。

それは『拝金主義』ではなく『免労主義』だ。労せずして得してやろう、地に根を張るのもほどほどにして実だけ頂戴しよう、という狡すっからい精神こそが、この世を腐らせるのである。“真の”虚業家とは、そんな虚衆の心のすき間を突いて『免労主義』を正当化し、免罪を与えるドリーム・メーカーのことを言うのではないだろうか。
posted by 想定ペンギン舎 at 18:36| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(1) | 序説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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