2006年03月05日

『不足の理』のスパイラルが虚衆を惑わす

社会の安定にとってコワいのは、(小泉首相に突かれるまでもなく)『格差』ではなく、そこから生じる感情のねじれ──すなわち、『下層』のレッテルを自分で自分に貼ってしまった人たちの『ねたみ』の連鎖である。

しばしば差別と区別は違う、という常套句がコメントとして登場する。その言い回しを使わせてもらうなら『格差ではない。“格区”のある社会づくりをしよう』ということになるか。経済水準というひとつ限りの尺度で国民を並べれば、格差社会が生まれる。格差のどこがイケないなどと、かの総理が不見識にも言った。イケないに決まっている。この単一ルールの勝ち負け思想こそが、社会人として厳につつしむべき絶対悪である。格差は、個別にあって当然のモノとは言え、あらゆる社会のアングルから眺めて同じ色合いで沈殿の進む社会は、単なる野蛮なジャングルでしかない。現在の与党は政治の政治たる仕事を放棄し、いわゆる《小さな政府》の美名の下、この国を節度も良識もない荒地に変えている。

最大野党ですら、昨今いろいろと批判されたように、“世の中が悪いのはみな与党のせい。圧倒的多数=与党は巨悪の巣。いつもわれわれを陥れ、自分たちだけ勝ち誇る。与党憎し!許すまじ!”という『ねたみ』の亡霊に憑かれたような言動をする。結局、政局は彼らにとって良い方向に転ばない。与党以上に国民の信頼を損ねる。これでは開ける展望も開けない。

さて、もともとは宗教用語?だろうか。『不足の理』という言葉がある。

先人は良いことを言ったものだ。何かが足りない。人より欠けている。自分は損をしている。不利な立場だ……こんな悲観的な考えばかりが先に立てば、その者の行動や言動はすべからく悪い方向へ傾く。ひがみ、うらみ、ねたみ、そねみ。こうした“ダークサイド”になびくことへの強い警告を、先達者らは発している。与党政治の弊害を除くには政権交代しかない、というのは『不足の理』に囚われた以外のナニモノでもない言い草である。倒閣や解散よりも、野党が存在しなければならない一番の使命を忘れたら、野党ならぬ野蛮党に堕ちてしまう。

たしかに政治は誤り、悪しき格差礼賛の暗黒が世の中を覆っている。しかし、だからこそこれと闘う者たちは、どんな局面でも『不足の理』のスパイラルに誘惑されない毅然(きぜん)さが求められる。


posted by 想定ペンギン舎 at 13:31| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(6) | 序説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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