2006年01月30日

受験育ちの功罪

虚衆はかつて受験生であった。もしくは、進行形の受験生たちである。

試験、試験。テストに次ぐテスト。人生の節目という節目には、いつも誰かに検査されてきた──運転免許をとるときも、会社に就職するときも、配偶者にプロポーズするときも。
そうした生活ばかりが繰り返し続くと、人間はどうしてもこう考えるようになってしまう。
──“検査にパスするまでは我慢してガンバろう。とにかく今は自分の嗜好を抜きに、ただパスすることだけを考えよう。”
こうした発想には必ずと言ってよいほど、次のフレーズが重なる。
──“それまでの辛抱だ。検査に通ればパァっと、好きなようにできるのだから”。

ほんの表層だけ見れば、どこにでもある“当たり前の”発想だ。当たり前のように深くも考えず、三菱ふそうの子会社はトラックを不正車検で通し、京大生は女性を集団暴行し、東横インはホテルを不法改築した。根本にあるのは、『そのどこが悪いの?』という受験生に典型的で率直?な疑問。
検査はいっときの審査でしかない。持てる知識や要件を詰めこんでいっきに突破すること、クリアすることだけに専念していればよく、その忍耐はすべて、通ったあとの《やりたい放題》のライセンスを獲得するため、という(傍目にはとても浅はかで)ズル賢い計算があるからこそ成し得るのである。
posted by 想定ペンギン舎 at 10:44| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(1) | 序説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

虚衆の何が「虚ろ」なのか

虚衆は、たとえるなら『ズルしないと損だ』という価値観に偏りやすい人たちのことである。この国では自分の人生の足を引っぱるさまざまな障害があって、のべつ規則や道徳を守っていたのでは満足に現状維持の生活すらできない。
そこで、マスコミやクチコミ、最近ではインターネットを通じて情報を集めまくり、労せずして収入や特権を得よう。そういうグループの一員になって、損を食らわないように“賢く”生きようと考える。
基本的には、自分だけが大事なのである。しかも、今の世の中は、誰かが貧乏くじを引くことによって、かろうじて成り立つ不平等な社会であると確信している。そういう、今では“ごくフツーの”考え方をする人たちのことである。かく言うわたしもその虚衆のひとりだ、と自信を持って言える。

損だけはしたくない。とばっちりを食いたくない。そうしたバクゼンとした恐怖心が生活の原動力になってるから、いかにも人生さびしく「虚ろ」なのである。そこまでの明確な自覚があって、ワカってはいても世の中への卑しい目線を抑えることができない。その空しさに囚われたくないために逃避することだって珍しくない。逃げ道は忙しさや慌しさということもあれば、非現実な趣味であったり、あるいは酒やギャンブルであったりする。それで返しきれない借金を背負い、かえって貧乏に直面することだってある。そうした行動パターンもまた、実に「虚ろ」である。
posted by 想定ペンギン舎 at 01:16| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 序説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

前がきに代えて

先日ある虚業家が逮捕され、マスコミなどを通じて日夜バッシングされ続けている。バッシングの次には忘却、忘却、さらなる忘却…。いずれ彼の名も市民の記憶から遠のいてゆく。
でも考えたい、それだけか? それで済ませて良いのか。それでナニごともなかったかのように、この国は清く正しく健やかに成長していけるのか?

絶対にそんなことはないと思う。いったい、ナニが若き経営者の虚業を(つかのまにせよ)あれほど成功させ、お調子に乗らせたのか?
このスキャンダルの底辺には、もっと根本的な、虚業家や詐欺師の扇動に浮かれやすく、現社会の閉塞感に不満を憶える人たちの増殖、という問題がある。
仮に彼らを“虚(むな)しき民衆=虚衆”と呼ぼう。虚衆はこれからも、この国のありようを動かしていく。そうした虚衆の生活を綴るべく、用意されたブログである。
posted by 想定ペンギン舎 at 00:22| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(1) | 序説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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